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2019年1月号『あなたまかせ』

目出度(めでた)さも中位(ちゅうくらい)なりおらが春

あけましておめでとうございます。

小林一茶の句集「おらが春」の巻頭の句です。今から二百年前の一八一九年の正月に詠まれました。古い句ではありますが現代の私たちにも馴染みがあるのは読み手によって受け止め方がいろいろだからかもしれません。

めでたい正月ではあるが上を見ればきりがない。下を見ると一食採るのもままならない人もいる。そう考えると自分のように中くらいの生活で中くらいの幸せが自分らしい、という受け取り方があります。

それが真実なら謙虚な印象ですが、「中位(ちゅうくらい)」とは真ん中ぐらいではなく、よくない、やっていられないという意味で一茶の住む北信濃地方では使われていたのでした。

幼少時に生母と死別し長く不遇の時が続いた一茶でしたがこの句を詠んだ前の歳に長女が誕生します。しかしすぐに長男同様に亡くなってしまい、まさにそんな悲喜こもごもの年が明けた正月の句でした。

しかし一茶はこう続けます。

ことしの春もあなた任せにむかえける

「あなた」とは阿弥陀佛のことです。お念仏の教えを深く信じていた一茶は年の初めにこの一年も仏さまにすべてお任せをしていこうと誓うのです。あるがままの人生を受け入れていこうとする一茶。そこには阿弥陀佛の救いを信じてお任せをしていく念仏者の姿がありました。

さて「お任せをする」といっても実際にはそう簡単ではありません。例えば自分の仕事を他者に任せるとき。任せたからには口出しをしないのが大事でしょうが、そうもいかず余計な一言を口に出す。反対に任せっぱなしにして後はうまくいかなくても全く知らんぷりの放ったらかし。どちらも本当に任せたことにはならないようです。ましてやほんの小さな行き違いで人との仲が悪くなることも。生きづらいのが人の世です。

しかしそんな人の世をいつでも、どこでも、だれに対してでも見ていてくれているのが「あなた」です。仏さまです。そう考えると少し安心します。そんな仏さまがいるのであれば信じてみたい気持ちも起こります。

信じ切ることはお任せをすること。

そしていったんお任せをしたのであれば継続させていくことが大事なのです。

 お念仏の念とは思い続けるという原意(もともとの意味)があります。極楽浄土の仏さまのことを思い続けナムアミダブツと声に出して称えることがお念仏です。

 法然上人は

念称(ねんしょう)是一(ぜいつ)念称(ねんしょう)これひとつなり)」

思うことと声に出すことはひとつである、と仰せになりました。想いは声に出してこそ伝わるもの。そして何度でも声に出すたびに仏さまは必ず聞き届けてくれている。

 お正月のひととき。ゆっくりと仏さまの前でお念仏と共に新しい年が安穏であれと願いたく存じます。

 みなさま方にとって幸せな年になりますよう念じ申し上げます。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

良光院 住職 清譽芳隆

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