2025年6月号『六道を越えて』
数十年も前の話ですが、岩手県の東北本線の平泉駅から、あてどもなく路線バスに乗ったことがありました。しばらく走った頃「六道」というバス停のアナウンスが流れたのでこれにひかれて降りました。
六道とは仏教語で生きとし生けるものの六つの世界「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天上」のことです。
・地獄道…苦しみの世界
・餓鬼道…飢えと渇きに苦しむ世界
・畜生道…動物として生まれる世界
・修羅道…闘争を繰り返す世界
・人道…人間の世界
・天上道…天人の世界
私たちはこの六つの世界の間を生まれ変わり死に変わりしているといわれます。にわかには信じがたいかもしれませんが、輪廻(繰り返しめぐりゆくこと)ということばを聞くと、そう思われるかもしれません。
そのバス停で降りはしたものの、なだらかな丘陵地帯で人家もほとんどありません。
見るべきところもないので直ぐに引き返したのでした。後で調べてみると、その地は元和二年(1616年)に地蔵堂が建てられており、延命地蔵という菩薩さまが祀られていたことがわかりました。いつの頃からか地蔵堂は消失したようですが「六道」が地名として残されていたのでした。
六道のひとつ「餓鬼道」はまさに鬼の世界です。時に鬼たちは私たちの前に現れます。
施餓鬼のいわれは阿難尊者が鬼から三日の余命宣告をされることから始まります。また、お盆は目連尊者が自分の母親が餓鬼道に堕ちている姿を目にし救いを求めることが発端です。どちらも、お釈迦様は二人にお経を唱えたり食べ物など施しをするようにと説かれたのでした。
浜田広介の「泣いた赤おに」の童話をご存知かと思います。人間と仲良くしたい赤おにと、その赤おにを助ける青おにの友情を描いた物語です。「ドコマデモ キミノトモダチ」という言葉を残した青おには、その姿は鬼でありながら人間同様に思いやりの心が感じられます。
迷いと苦しみの世界にいる私たちに対して鬼は何かを教えてくれるように思えます。
村や寺の入口にある六地蔵は、こうした私たちを見守ってくれています。思わず立ち止まらずにはいられません。
法然上人のお言葉に「離れがたき輪廻の里を離れ 生まれがたき浄土に往生せんこと 喜びの中の喜びなり」とあります。
迷いと苦しみの六道を越えた先には、穏やかな世界があります。
ご本尊阿弥陀さまの光は墓所に眠る大切な方々を見守ります。 夏は祈りの季節。お念仏の日暮しをしてまいりましょう。