2018年3月号『いつかきっと』
明治生まれの歌人の土屋文明の歌です。
終わりなき時に入らむに束の間の後前ありや有りて悲しむ
文明が九十二歳の時に一つ年上の妻を亡くした時の歌と言われています。
極楽浄土はまさしく終わりなき時の世界。そこに生まれることは往生といって私たちの永遠の行先です。作者はこの世の短さに比べれば来るべき次の世が永遠であらんことは十分わかっている。それでも先に往く者とその後の者との時間的な差がわずかであっても悲しいと詠んでいます。
文明はこの後百歳で亡くなりましたので八年間妻無き時間を過ごしたことになります。それが束の間だったかどうかは何ともわかりませんが文明もまた妻の待つ極楽への思いを馳せていたことでしょう。
昨年六月に若くして亡くなった市川海老蔵さんの奥さんで真央さんという方がおられました。ふたりの闘病記録はマスコミでも取り上げられていました。そんなふたりの誓いの言葉は「来世でも、再来世でもまた一緒になろう」。真央さんの闘病中にもあらためて約束したといいます。
来世とはまさに極楽浄土。終わりなき時の世界ですから本来、再来世を考える必要はないのです。しかしそれ程ふたりの想いが強かったのでしょう。極楽の存在は確かなものと信じられていたのです。
悲しみや苦しみの失意の中で人は「いつかきっと」と願いを誓うことがあります。努力の末に願いが叶ったとき、周囲から讃えられたときは本当に嬉しいものでしょう。
オリンピックの勝者たちは口をそろえて言います。「自分だけの力ではない。みんなに支えられた」と。
ときには極楽からの応援もあると思われます。大切なあの方の声も聞こえてくるように思われます。
朝ドラ「わろてんか」のおてんさんがお仏壇の前で鈴を鳴らすと、困った時には亡夫が現れます。何気ない所作に見えますが自然に受け止められるから不思議です。
極楽がある。仏さまがいてくれる。
見守ってくださっている。
法然上人はこのことを次のお言葉で私たちにお示しくださっています。
「念仏して往生を願う人をば、弥陀仏より始め無数の菩薩、この人を囲繞して影の如くに添いて、命終の時は極楽世界へ迎え給うなり」
(念仏して往生を願う人には阿弥陀佛や大勢の菩薩さまがこの人を囲うように守り、寄り添って、命尽きるときは極楽世界へ迎えてくださるのです)
お念仏の出発点はいつかきっと極楽に生まれたいという往生の願いを持つことにあります。こんな自分でも阿弥陀さまが寄り添い救ってくれるというお誓い(本願)を信じることにあります。
なむあみだぶつの一声一声を続けていきましょう。心やすらぐ世界がそこにあります。
浄相院 住職 清譽芳隆