2020年1月号『巷(ちまた)』
あけましておめでとうございます。
巷では穏やかな新年を迎えていることと存じます。
さて、巷の語源は「チ(道)+マタ(股)」で道がいくつかに分かれるところということです。そこは多くの人々が往来するところであり人が発する話題が「巷の声」となることから、巷=世間とも使われるようになったものです。
ところで、道が分かれるところでは当然のことながらどちらかに進む必要が生じます。通い慣れた道では悩みませんが、初めていくところではどちらかを選ばなくてはなりません。
人の一生もまたそのような選択の繰り返しなのかもしれません。節目節目に私たちはどちらかを選び、どちらかを捨てるという行為を続けていく定めがあるようです。
京都在住の歌人の夫妻で河野裕子と永田和宏という方がいます。夫婦ともに宮中歌会始の選者を務めた歌人です。妻の河野は乳がんが発覚して、二年後に六十四歳でこの世を去ります。亡くなる数日前に詠んだ歌です。
長生きして欲しいと誰彼数へつつ
ついにはあなたひとりを数ふ
自分の命終が差し迫った河野は残してゆく人たちの長寿と幸せを願うのです。そして誰と誰、と数えていった。夫、子供、孫、仲間、あるいは飼い猫の類まで大切な人たちを数えていった。そして最後には夫である「あなた」だけに長生きをしてほしいと願った歌。選択に選択を重ねついに選んだのが長年の伴侶でした。
一見自然なような選択にも思えますが、この方の選び取るまでの過程に思いを馳せる時、その思いやりの強さに打たれます。
法然上人もまた選択を重ねられた方でした。それはお念仏こそが私たちを救う道と確信をされた選択です。三十年もの歳月を費やされて、ある日次の一文を膨大なお経より見つけられたのでした。
「ナムアミダブツととなえることは私たちを救おうとする阿弥陀佛の願いに順ずる」
仏さまは私たちひとりひとりを救うためにただ南無阿弥陀仏と自分の名前を呼んでほしいという願いがある、という一文でした。
そして呼べば必ず伴侶のように寄り添ってくださるのが仏さま。仏さまこそがお念仏を選んだ私たちの長寿と幸せを願ってくれているのでした。
令和の時代、最初の年頭の節目。時間を見つけてゆったりとお念仏なさってください。
また、お寺に、お墓にどうぞお参りください。 みなさま方のよいお年を念じおります。
住職 清譽芳隆