2022年9月号『彼岸への道』
猛暑の夏はさわやかな秋の到来が待ち遠しく感じられます。近年は、暑さ寒さも彼岸まで、とも言い切れない時節ですが、それでも本来の秋が来ることに期待を寄せます。
秋彼岸も近いある年の九月のこと。亡夫の墓参に行く道中の体験を小説にした若竹千佐子さんという作家がいます。
主人公の桃子さんは七十代半ば。夫が心筋梗塞で急死してからは一人暮らし。夫に会いたい、声が聴きたい、そんな思いで自宅から丘陵の林の小径を上り下りしながら小半日かけて墓まで歩く。
ひとりで歩いているはずがふと見るとそこにはかつての自分の姿がある。夫との様々な思い出が再現される。夫の声が聞こえてくる。
そのとき桃子さんは確信します。
あの人の住む世界がある。その世界に通じる道があり、そこに分け入りたい。
さらに歩き進むと彼岸花の群生に出くわします。ここは以前、亡夫と一緒に写真を撮ったところでした。気持ちがほどけてゆく。亡夫がいるところに行ける期待と安心感につつまれる。
こんな体験を綴った「おらおらでひとりいぐも」という小説は芥川賞受賞作にもなりました。この作品を通じて作者は自分の気持ちを方言に託して、悲しみと共存して自らの信念で生きていく決意を宣べています。
桃子さんはどこにでもいるような方なのかも知れません。あるいはいつの時代にもいる方のようにも思えます。
法然上人のお言葉です。
津を問う者には示すに西方の通津をもてし、行を尋ねる者には教うるに念仏の別行をもてす
(私に彼岸への道を尋ねる者には西方極楽浄土へ通じる渡し場を示し、その方法を尋ねる者には念仏の行を教え諭しました)
亡き方が住んでいるのはこの世の岸(此岸)とは対称にある彼岸です。私たちが亡き後に目指すのがこの彼岸で、お念仏の教えでは極楽浄土ともいわれます。
ここに到達するためには、お念仏を唱えるのが私たちにとって最も適した方法と法然上人はお示しされました。
桃子さんは夫が亡くなって初めて目に見えない世界があってほしい、何とかしてその世界に分け入りたい欲望が生じた、と告白します。
大切な方を見送ってからそのことを知った桃子さんの体験は尊いものです。お念仏の教えでは、もとより彼岸があり、いずれそこで亡き方と再会できることを人々に伝えてきました。
まもなくお彼岸。感染対策を行いながらお中日法要をいたします。 ご先祖の、そして大切な方の声を聞きにどうぞご参詣ください。