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2025年1月号『よるべ』

あけましておめでとうございます。

昨年末の行事に「仏名会(ぶつみょうえ)」がありました。仏さまの前で一年を振り返り、知らずに重ねてきた罪を礼拝でお念仏をお唱えすることにより除いてゆくことが目標です。ご参加いただいた七十名程の方々とお勤めいたしました。

お釈迦さまは最期に弟子たちにこう言い残しました。

「おのれこそおのれのよるべ おのれを(お)きて誰によるべぞ よくととのえしおのれにこそ まことえがたきよるべをぞ(え)ん」

わかりやすく言うと

「自分自身に頼るしか他には頼るところがない だから頼れる自分を作っていこう」

よるべとは拠り所、頼れる存在です。

幼子が親をよるべとすることは当然ですが、夫は妻を、妻は夫を家族同士で、あるいは恋人友達、さらには職場で私たちのよるべとなっている人は必ずいるものです。

誰かに頼り頼られ生きてゆくことが幸せと感じるのかもしれません。

しかし、こうした大切なよるべを当てにせず自分だけが頼みになるようにしろ、と言われてもはたと困惑してしまいます。

一方でよるべなど要らないという人もいます。よるべと思っていた人に裏切られたり死に別れたりしてよるべを拒否してひとりひきこもる人もいます。

 「みんなでひきこもりラジオ」という番組には全国からたくさんのひきこもりの人からのアクセスがあります。ラジオだと自分の心情を吐露しやすいようで苦しい心中の便りに詰まされます。同じ境遇からの励ましもあります。

 数か月ぶりにやっとの思いで風呂に入ることができたという女性からの投稿には「よくやった」 「がんばったね」などの反響があります。番組の最後にはみんなで乾杯というじかんがありリスナーたちがラジオの前でたき火の音をを聞きながら乾杯します。

どんな境遇であるにせよ、どんな環境に置かれようとも人はよるべを求めるのではないでしょうか。

 ではお釈迦さまの自分だけをよるべとせよの教えの真意はなんでしょうか。

実はこのおことばには続きがあります。

それは「私の説く仏の教えだけををよるべとせよ」と示されたことです。

他の人の考えや意見に左右されることなく自分の意志で仏教をよりどころとしてゆけ、ということなのです。

とかく私たちは苦境や不安に見舞われるとき安易な拠りどころをさがすことがあるかもしれません。しかしそれは本当のよりどころではない。自分を見失っているときには本当の姿は目に入りません。

ではどうやって頼れる自分を見つけてゆくか。

年の始めにゆったりと自分を振り返る時間の中にこそその答えがあるように思います。アンパンマンの主題歌にある「何のために生まれて、なにをして生きるのか」という私たちの原点に還ることと同義かもしれません。

 お釈迦さまは膨大な教えを残されました。

そのひとつがお念仏の教えです。

身近なよるべを大切に。そしてたき火のように明るくあたたかい仏さまを大きなよるべとして新しい年を進んでまいりましょう。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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地域に根ざしたお寺ですね。
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20:23 20 Dec 20
素晴らしい仏像の安置ですね南無阿弥陀仏
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12:06 27 Sep 19
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