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2017年12月号『思い遣(や)り』

今年の夏は記録的な雨続きで四十年前の昭和五十二年以来だとか。昭和の舞台といえば朝ドラの「ひよっこ」を面白く見ています。

奥茨城村出身のヒロインが出稼ぎに出て行方不明になった父を捜しに東京に働きに来る話です。幸い父は記憶喪失状態ながら見つかり故郷に帰ってさあこれからというところです。ヒロインをはじめ登場人物の一人一人が素朴で暖かくお互いのことを想い合っている雰囲気があるドラマです。

 このドラマの脚本を書いている人は岡田惠和さんという方で、ある雑誌でこんなことを述べておられます。

一番難しくて大変なのはセリフを書くこと。ドラマに出てくる全員の気持ちにならないとセリフはでてきません。こんな時自分はこう思うではなくて、こんな時女子高校生は主婦は会社員は老人は幼稚園児はどんなことを思い、どんな言葉を発するのだろう。それを考えるのが仕事です。どうしたらいいか。ただひたすらに思いを馳せるしかありません。自分を捨ててその人になってみる。自分だったらではなくてその人になってみる。常に自分は人の気持ちばかり考えて生きている。時には登場人物がつらい目にあうと体調を崩すこともある。人の気持ちを引き受けるということはそういうことだと思います。

ドラマの世界とはいえ大変な仕事だと思います。面白さの陰にはこんなご苦労があったのでした。日本語には「思い遣り」という美しい言葉があります。その人に心を配って共感すること。仏教では「心施(しんせ)」とも言います。しかしその人が今本当はどんな思いでいるのかがわからないと思い遣ることができません。人の苦しみを知ることは時には至難の業でしょう。

しかしただひとりだけそれを完全に成し得た方がいます。その方の名は法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)さま。

法蔵菩薩とは阿弥陀佛になる前の菩薩のときのお名前です。私たち思い通りにいかない人々をどうしたら極楽浄土へ救えるか。究極の「思い遣り」。そのことを考えて五(こう)という長い年月が経ちました。

一劫とはおよそ百五十キロ四方の巨大な岩石に三年に一度天女が現れてその羽衣の袖で岩石をひと撫でする。そのわずかな力によって岩石が擦り減ってなくなるまでの時間。五劫とはその五倍。法蔵菩薩は想像を絶する時間を費やしてようやくひとつの考えに至りました。

私が人々の苦しみを引き受けよう、修行も代わりにしよう。そしてそれができるようになったとき私は阿弥陀佛という佛として存在しようと。わが名を呼ぶ人々を極楽へ救い取ろうと。

私たちに嬉しいことがあったとき共に喜んでくれている佛さまがいます。今、あなたが苦しいと思っているならばその苦しみの何倍も背負ってくれている佛さまがいます。

人知れずナムアミダブツと口に出すと確かにあなたのために、私のために彼方から思い遣ってくれている阿弥陀さまがわかります。 秋のお彼岸。秋分の日のお中日には彼の岸、浄土を思い遣っての法要が行われます。どうぞお越しください。

浄相院 住職 清譽芳隆

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濱田由美
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14:08 05 Sep 21
地域に根ざしたお寺ですね。
Kunio Karaki
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20:23 20 Dec 20
素晴らしい仏像の安置ですね南無阿弥陀仏
リズ
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00:49 10 Aug 20
Kyinenig Chloe
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08:46 13 Dec 19
住職の畑中住職は人徳者。様々な相談にも、のって呉れる住職です。
kaz a
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12:06 27 Sep 19
イチゲンさんでも写経ウェルカムなお寺。よくある檀家以外お断り的な排他感はない。大して喜捨していないのに、お彼岸だからとお菓子をいっぱいくれた。木魚と南無阿弥陀佛程度は覚えていったほうがいいかも。
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