2019年6月号『平成の御代に』
平成の最後の年が明けてはや三月目。吹く風も春の気配を漂わせています。
本宗と皇族とのつながりは深いものがあります。法然上人が「戒」(仏教者の守るべき規範)を当時の皇族方に授けられた関係から始まっています。お念仏の教えの広まりにしたがって歴代の天皇から諡(すぐれた高僧に送られる別称)としての大師号を法然上人は八回賜っています。
今生天皇からは「法爾大師」と平成二十三年三月十六日、東日本大震災の惨状の最中にいただいたのでした。
「法爾」とはあるがままということです。法然上人のお言葉の中に
炎は空に上り、水は下るさまに流る
菓子(当時は果物のこと)の中に酸きもの(酸っぱいもの)あり甘きものあり、これらはみな法爾の道理なり
とあります。
自然現象がおこることは変えられない事実であり作物の味がそれぞれに違うのも当然のことと仰るのです。
さらに上人は続けます。
ただ一向に念仏だに申せば仏の来迎は法爾の道理にて疑いなし
お念仏をひたすらにお称えすれば最後臨終の時には必ず仏さまは迎えに来てくれるということは自然の法則と同じであると。
お念仏での救いを強く私たちに伝えるために仏さまのお迎えを何人も疑い得ない自然の法則に喩えたのでした。
一方で「あるがまま」の私達とはどんな姿でしょうか。または「ありのまま」の自分と考えた方がいいでしょうか。そこには他人と比較ばかりする弱い私がいます。悩みが尽きず欲のままに行動する罪深い自分がいます。
しかし法然上人はご自分の経験をも踏まえ
たうえでそんなありのままの自分でも仏さまが救ってくださるのがお念仏だと確信されたのでした。
先日の式典で陛下は平成の世が災害が多かったことを憂い、しかしそのなかでも懸命に暮らす人々に寄り添う方々のいること、平成が初めて戦争のない時代であったことに言及されました。私たちはそこに陛下の命に対する深い想いを、平和への強い希求を感じさせられました。亡くなられた方々への追慕の想いを痛いほど感じさせられました。
お念仏を称えることは先立たれた方々への想いです。いつか再会しましょうという私たちの願いです。
そして今生天皇があの震災のときに「法爾」と送ってくださったことを考えるとき、お念仏への救いの期待があったことに思いが至ります。
ひとすじに続いてゆく道がそこにはあります。残り少ない平成の日々ですが、お念仏の教えと出会っているこの時があることを大切にしたく存じます。 今月は春のお彼岸月。どうぞあの方々にお会いにお越しください。
住職 清譽芳隆