2021年9月号『彼の岸(彼岸)』
九月。コロナに始まった今年もあと四か月。高齢者を中心にワクチンは広まりつつありますが未だ不安と制限の中にいます。暑さが過ぎるとすぐ今年も終わりそうにも感じますが、四か月は短いか長いかは受け取り方次第です。
あと百二十日と考えるとどうでしょうか。少し長くなった感じがします。さらに二千八百八十時間とするとさらに少し延びたようにも聞こえます。同じ時間ながら言い方によって微妙にその長さの受けとめ方が違います。
無量寿経というお経に次の一節があります。
於此修善一日一夜、勝在無量寿国為善百歳
(この世で一日善を修めることは無量寿国での百年の善行よりも勝れり。)
この世でたった一日よいことをすることは、来世(極楽浄土)の百年間の修行以上に尊いことであると説かれているのです。
これはどういうことなのか。
無量寿経ではこの世は極言すれば、欲望や
苦しみに汚染された世界であるとしています。そうした中でよいことをするのはたった一日であっても非常に難しいことととらえているのです。それだけにこの一日は尊いのです。
他方、来世は修行に適した環境であるのでこの世の修行とは比べようもなくしやすいというのです。
コロナ禍の今の世はこのお経に説かれる此土(この世)と似ています。ある宗教学者はこの一節から学ぶことが多いとこう言います。
こんなに価値のあるこの世の一日ならば何もせず無駄にしていいはずがない。仏さまはこの一節を通して私たちに善行(お念仏)をすすめ、さちにはこの限られた一日を己を、時を、人を、今を慈しめ、と示している、と。
私たちがこの世で何気なく申しているお念仏は実は仏さまから見ると極楽の修行とは比べようがなく尊いものであったのです。
お念仏はその一声一声に仏さまの救いを期待することができる、と法然上人は仰せになります。
ナムアミダブツのその一声がいかに大事な
のかがわかります。僅か数秒のことが今を慈しむことにつながっています。
今月二十日からは秋のお彼岸を迎えます。お彼岸はこの世から来世を想う期間です。
先立たれた大切な方を、さらに自身の行き先
となる彼の岸を想う期間です。
今秋も中日法要は自粛となります。感染対策のうえ本堂でのお焼香をしていただけるよう整えておきますので、どうぞお寺に、お墓にお参りください。 一日は八万六千四百秒。一声ごとに仏さまの救いを信じてお念仏をお唱えして参りましょう。
住職 清譽芳隆