2022年1月号『願い』
あけましておめでとうございます。
一月を正月と呼ぶのは中国の暦法に依ったものという説があります。「正」という字は一+止 と解けます。一 は線であり、止 は足を意味します。私たちが目標とする線に向かって自分の足で進んでゆく姿がこの字の意味と解けるのです。まさに一年の初めを正月と呼ぶのにふさわしく思えます。
正月のお寺の行事に「修正会」があります。正月に修める法要なので修正会。
その歴史は古く「続日本紀」に七六七年に皇居のあった近畿の数か所の国分寺で天下泰平、五穀豊穣など万人の幸福のために祈った法要であったことが記されています。
さて正月といえば初詣。初詣には願いごとがつきものですが昭和十四年の高浜虚子の句です。
願ぎ事(願い事)はもとよりひとつ初詣
あれもこれも願いたくなる方も多いかもしれませんが、作者はそうではなくて、ずっと思い続けてきたただひとつのことを願っている。いったいどんな願いがこの方にあったのか興味深いところですが、時代は変わってもこういう気持ちは確かに私たちの中にあると思います。
明治の高僧である山崎弁栄上人は初詣の願いは「道のよからんことを祈るよりも、いかなる道にも耐えらるる力の加わらんことを祈るがよい」と示されました。これはどういうことか。
道のよからんこと、とはどんなことであれ自分の未来が幸福であってほしいという願望と思われます。一方のいかなる道にも耐えらるる力とは、たとえつらく苦しい出来事に出遭ったときにもそれを乗り越える力がほしいということです。困った時に力になってほしいと願うことです。
みなさまはどちらを願われますか。
ある年配のお檀家のご婦人が話してくれたことがありました。
「和尚さんねぇ、今日わたし転んじゃったのだけど、よく考えたら仏さまが守っていてくれたからこのくらいで済んだと思うことにしたの」
この方のお話は法然上人の仰せになる「転重軽受」という教えに通じています。
お念仏を信ずる人は阿弥陀佛のお力によって本来重く受ける病や災難を転じて軽く受けさせてくれるという教えです。
初詣で祈ったにしても、お念仏を申したとしてもそれで必ず願いが叶ったり、病気もせずすべてが順調に進むわけではありません。
この女性から学ぶべきは逆境や不遇を一旦自分自身で受け入れることができるか否かです。その上でこんな私だけれども、それでも決して見捨てず見守ってくれている仏さまがいる。そのことに気づかせていただくことがお念仏かと存じます。 お正月にはご本尊・お墓にお参りください。仏さまと大切な方はいつでもみなさま方のパワースポット。今年もウイズ仏さまで進みましょう。
浄相院 住職 清譽芳隆