2022年3月号『春彼岸』
行春や鳥啼き魚の目は泪
元禄二年の三月に芭蕉が奥の細道の旅立ちを詠んだ句。行く春を惜しんで鳥や魚さえも泣いているようだ、という句意ですが、背景にはさらに深い意味があります。
江戸の深川に住んでいた芭蕉は弟子の曾良とともに東北・北陸を巡る旅に出ます。その日、深川から千住大橋まで別れを惜しむ門弟たちと隅田川を船で登ってきましたがいよいよここで今生の別れとなります。
当時数千キロの旅路に出ることは四十五歳を過ぎた芭蕉にとって生きては戻れない行程と覚悟していたからでした。
さらになぜ魚までもが泪するのか。お釈迦さまのご入滅に際して、動物たちが涙に暮れている涅槃図が描かれます。これをも連想すべきと唱える俳人がいました。つまりこの句は単に春を惜しむのではなく、芭蕉本人と、お釈迦さまをも見据えた壮大な別れの句であったのです。
寒い冬をこえて待ち望んだ春がくる。古くから春は希望の象徴でした。そんなときが長く続いてほしい。
しかし仏教はすべてのものは変わってゆくと説きます。光明摂取和讃の歌詞はこう始まります。
人のこの世は長くして変わらぬ春と思いしに 無常の風は隔てなくはかなき夢となりにけり
近しい方が儚くも旅立ってしまったとき、春は終わってしまったという想いは一層私たちに迫ります。
歌詞には続きがあります。
されど仏のみ光に摂取されゆく身にあれば
思いわずろうこともなく 永久かけて安からん
仏さまに救われていく。そう思うと心配はやわらぎ安らかな気持ちになる、と教えられます。
先日お檀家さんの葬儀で火葬場でのご回向の時のことです。
火葬炉の前での読経の後、その方は早世された奥様に向かって最後に声をかけられました。
「待ってろよ」
極楽での再会を期してのきっぱりとしたひとことでした。居合わせた誰もがそのことを確信できた瞬間でした。悲しみの中にも小さなそして確かな安堵が広がりました。
極楽はある。この想いを新たにするときお念仏が口をつきます。
芭蕉は母を亡くした翌年にこんな句を詠みます。
世にさかる花にも念仏申しけり
満開の八重桜の前で詠んだ句です。この世の春とばかりの真っ盛りの桜。対照的な母の死といずれ訪れる自身の命の儚さ。そう感じた時思わずお念仏が出る。そのように私には思われました。
今月はお彼岸月です。コロナ禍の制約はありますが、どうぞ極楽への想いとともにお寺に、お墓にお参りください。
浄相院 住職 清譽芳隆