2023年1月号『思いから行いへ』
あけましておめでとうございます。
標題は本年の月訓カレンダーの一月を飾ることばです。
一年の計は元日にありと言いますが、まず目標を立てることが大事ということです。新しい年を迎えて今年こそはと思いをめぐらせます。
しかし気がつけばほとんどが何もできないで目標だけが空しく残っている。そんな経験を私は何年もしてきました。
何故か。
あれもこれもと張り切りすぎる。能力以上の目標を立てる。意志が弱く続かない、等々。
それでも振り返って子供のころから比べると、歳と共に好奇心は薄れ、理想をあきらめ現実的になり、分相応も分かるようになったはずですが・・・。
今は逆に残りの寿命を考えて、せめて生きているうちにこれだけはなどと思いは尽きることがありません。ましてやコロナ禍に加えて戦争や自然災害。命の不安が脅かされている人々がすぐそこにいる現実があります。
法然上人がお念仏の教えを開かれた鎌倉時代もまさに京の都は疫病や飢饉、戦が頻発する不安な時代でした。そんな中、庶民の願いはどうしたらこの世の命が尽きたとき、仏さまに救ってもらえるかということでした。
そこに法然上人が今までの仏教にはなかったナムアミダブツとお念仏を唱えることで必ず仏さまは私たちを迎えてくれるとお示しくださったのでした。
庶民だけでなく武士や貴族などの層にもこの教えはみるみる広がりを見せ今日に至るまで八百五十年もの長きに脈々と受け継がれてきたのです。
善導大師のお言葉です。
(浄土に往生せんとおもわば)
必ず願と行と相たすけて、為す所みな剋す
極楽に生まれて救われたいと思うならば、願と行とが互いに助け合うときに(極楽往生の)目標が達成されるのです。
私たちが仏さまに救われたいと思って(願)お念仏(行)すれば必ずそうなります、と説かれたのでした。
南無阿弥陀仏と申すだけで救われる。不安で目標など立てる余裕もないときこの教えはどんなにか人々を、私たちを元気づけたでしょうか。
さまざまな思いが私たちにはあります。
しかし最後に願うのは仏さまからの救いと大切な方々の安寧ではないでしょうか。
いつの時代もかわらずお念仏があります。
令和五年が明けました。
初参りはまず、お家のお仏壇、そしてお寺、お墓から。
よい年であるよう念じております。