2024年1月号『どうする、わたし』
あけましておめでとうございます。
大河ドラマ「どうする家康」も昨年末に最終章が終わりました。
今までの家康伝と違って今度の家康は家康自身の内面を切り口に面白、おかしく作られていました。強い家康ではなく、弱くめめしい家康。そしてどんな家臣たちをも信頼する人のいい家康。こんな身近なキャラクターが見る者を引き付けていたのかもしれません。
旗印は有名な「厭離穢土・欣求浄土」
(穢れ多きこの世を厭い、清らかな極楽浄土を求める)
九死に一生を得た桶狭間の戦い。逃げ延びてきた大樹寺で自害寸前に時の住職登誉上人から授けられた言葉でした。それ以降お念仏に深く帰依してこの旗印の下で天下を治め、晩年はお念仏に、写経にと見送った人達への供養を重ねてきたのでした。
もちろんそれまでの間幾多の試練があり危機がありました。大河ドラマではその都度「どうする?」と家康に問います。そこをなんとかかんとか選択を重ね押し進んでいくところに妙味があります。喩えるにアミダくじの曲がり角をうまく進んで最後に天下取りのゴールに到達するようなものでしょうか。
法然上人もまた、選択に選択を重ねられた方でした。今までの教えでは限られた人達しか救われない。どうしたから万人が極楽浄土に救われるか。来る日も来る日も経蔵に籠り教えを探しました。
そこでようやく見つけられたお念仏の教え。ただナムアミダブツの一声で救われる。まして相続(何度も続けること)が出来れば極楽に生まれること(往生)は疑いのないことである、という経文を発見されたのでした。
その教えが世に広まって来年で八五〇年。本宗では記念の法要を全国の各寺院で営みます。
翻って私たちの日暮しもまた「どうする?」の連続と言えます。些細なことから、人生の岐路に立つことまで、選択の連続ではないでしょうか。ときには答えが出ずに悩むことも少なくありません。
そんな時にはどうすればよいか。
法然上人のお言葉です。
「阿弥陀仏は八万四千の光明を放ちて照らし給うなり。平生の時照らし始めて、最後まで捨て給わぬなり」
(阿弥陀佛の大きな光明は念仏申す私たちのことをいつも照らしてそれは生涯続きます。)
私たちが迷いながらも選択したことはずっと仏さまが光を照らして護ってくれているというのです。だからどんな選択をしたとしても仏さまがついていてくれる、自信をもって進んでくださいと応援されているのです。
アミダくじの縦横の線の由来は仏さまの光明です。阿弥陀仏像の背面の後光と呼ばれる大きな光がはじまりです。あたかも私たちが選択を重ねているその瞬間を見守ってもらっているような気持ちになりますね。
本年も仏さまと共に幸多き年にして参りましょう。 どうぞよろしくお願い申し上げます。