2025年3月号『香薫にあの人のことを想う』
三月のカレンダーのことばです。春の芽吹きの中に香を感じるそんな時、極楽にいる先だった方へ想いを馳せている穏やかな情景です。
春はまた強風が吹き荒れる季節でもあります。
春の嵐は大切な方を失った悲しみを新たに呼びおこすように感じられるかもしれません。期待と不安が交錯します。
善導大師の「発願文」というお経には
「かの國にいたりおわって 六神通をえて 十方界に入って 苦の衆生を救摂せん」
とあります。先立たれた方が残してきた私たちに寄り添い、苦しみを和らげ、楽しみを倍増させる力なのです。
先日緑内障の手術を受けた時のこと。術後目をあけても深い霧の中にいるようで視界のなさに不安が襲います。こういう時こそお念仏あるのみ。ナムアミダブナムアミダブ・・・十分二十分三十分ひたすら唱えます。
いつしか先立った祖父や父母が現れ声なき声で励ましてくれます。少し安堵します。少したつと今度は、新たな不満が出てきます。隣の患者の病状の軽さや看護師達の笑い声に気持ちがざわつきます。他人と比べて自分の不遇に一層打ちひしがれます。
そんな思いや声をかき消すようにまたお念仏をはじめます。何遍唱えたでしょうか、ある時点でそんな思いは消え、そこからふっと抜け出せたような感覚。気持ちが楽になります。
無量壽経の一節に
「衆生ありて斯の光に遭うものは三垢消滅して身意柔軟なり」
仏さまの光に照らされる者は三垢(むさぼり・怒り・妬み)が消え身体が軽くなります。そして深くその光につつまれるとき、時には体も心もほどけていく心地よい状態になると説かれています。実際にこの感触に出会うとき、お念仏のありがたさがわかります。
しかし厄介なのが「三垢」の存在です。一度は消えたと思ってもすぐに絶え間なく湧いてきます。こうした感情を私たちは抑えることができません。だからこそお念仏があるのです。
いつでも、どこでも、誰でも。
お彼岸がめぐってまいります。
うららかな日差しのもと、春の薫りのなか お参りいたしましょう。
共々にお念仏してまいりましょう。