2019年9月号『まごころのおすそわけ』
早いもので今年も九月を迎えました。今月の月訓カレンダーのことばは「まごころのおすそわけ」です。
おすそわけとは人から貰った品の一部を他の人に分けること。その語源は「裾分け」で、裾とは衣服の下端の部分。それが転じて主要な部分でない一部を人に施すという意味があります。
そして施しの対象は、たとえばお彼岸におはぎを作ったのでおすそわけ、など食べ物のお裾分けにあずかることが多いようです。
昔からいただきものをしたら、まずお仏壇へ、そしてさらにそれをお裾分けして他の方にという習慣がありました。自分だけでなく仏さまが、身近な方が同じようにおいしいものをあがってもらいたいというまさにまごころのお裾分けが営まれていたのでしょう。
松田洋子さんという方が書かれた「あなたに捧げる私のごはん」という漫画があります。幼なじみ同士の新婚のカップルが海外からのハネ―ムーンの帰国の飛行機で夫が突然死してしまいました。
残された新妻はさびしさを紛らわそうとかつて夫とともに食べた料理を再現して調理します。出来上がるとまず夫のお仏壇にお供え。そのときの思い出を夫に語りその後「おさがり」を食べるのです。そうすることによって夫と同じものを食べている感覚が「わたしはもう大丈夫」と思うことにつながります。主人公の新妻は言います、
「供養ってあなたと私で共に栄養をとることかもしれないね」
もとはグルメの漫画の題材がすでに飽和状態で新鮮さを出すにはお仏壇の「おさがり」がいいという発想と作者は言いますが、私にはこの「おさがり」こそがどんなグルメをも超えたまごころの味がするように思えます。
そこには私たちの大切な方を想う気持ちと仏さまの私たちを想う大きな力が働いているように感じます。
まごころとは嘘や偽りのない「まことのこころ」のことです。
法然上人は
その願う心の偽らず、飾らぬ方をば、至誠心と申し候
(念仏して往生を願う心に偽りがなくとりつくろうことのない心を至誠心と申します)
そしてこの至誠心は念仏を申す者に最初に必要な心とお示しです。
つまりまごころがあってこそのお念仏と仰せなのです。そしてお念仏はひとりでも大勢でも一緒におとなえできる作法です。
「同称十念」ということばはご存知でしょう。その場に居合わした方々がご一緒にお念仏を十遍お称えしております。自分の大切な方やご先祖様のため、さらには私たち自身の往生のため(極楽で生まれさせて頂くこと)にお念仏申すのです。「まごころのおすそわけ」とは同称十念に通ずるように存じます。
そのお念仏のお声の輪の中に大きな安心を見出すことができるように思われます。
秋のお彼岸が巡って参ります。 お寺ではお彼岸の中日法要を行っております。今月は二十三日(月祝)午後二時からの予定です。どうぞご参加いただき共にお念仏をお供えいたしましょう。
住職 清譽芳隆