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新しい一年の新しい一歩(1/4)

私の両親は明治の生まれだったので、年齢の数えかたは自身はもちろん、誰に対しても最後まで「数え」だった。数え年では、大晦日がすぎて新しい年の一月一日を迎えた瞬間に、一つ歳をとる。自分だけでなく、親も、兄弟も、友達も、知っている人も知らない人も、誰もが皆一斉に一つ歳をとる。

 一つ歳をとるという点ではまったくバラバラの思いで(一月一日生まれの人は別だが)新しい年を迎える現在の満年齢の場合と、誰もが等しく歳をとる数え年の場合とでは、新しい年を迎える意識や気持ちにおいて、ずいぶん違っていたのではないか。同じ一つの感慨をすべての人が共有するわけだから、新しい年が来るということに今よりも厳粛な思いで臨んでいたのではないだろうか。

 ただ、数え年での一月一日でも、満年齢での自分の誕生日でも、新しい年になれば一つ歳をとる。一つ老いる。人生における四苦の一つに「老」がある。たしかに、老いることは苦である。しかしながら、それは一方的なまた単なる苦ではない。老いることは、それまで知らなかったことを新しく知る機会を得ることでもあるのだから。そこには、苦しみもあるが、楽しみもあるに違いない。

 フランスの哲学者アランが『幸福論』の中で書いている。「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」と。気分はコロコロとよく変わる。いつも上機嫌でいることは難しく、ふとした何気ないきっかけで人は簡単に不機嫌になる。そして怒りや憎しみや誹謗をもって、他人や社会に向き合うことになってしまう。

 楽観主義たらんとする意志こそが人を楽観主義に導いてくれる。新しい年が来て、一つ老いる。それは一つの未知なる世界への踏み出しの一歩でもある。喪うものもあるが、獲得するものもまたあるのだという楽観主義を意志の力で選びとり、令和四年という新しい年を生きたいと思う。

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浄相院
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濱田由美
濱田由美
14:08 05 Sep 21
地域に根ざしたお寺ですね。
Kunio Karaki
Kunio Karaki
20:23 20 Dec 20
素晴らしい仏像の安置ですね南無阿弥陀仏
リズ
リズ
00:49 10 Aug 20
Kyinenig Chloe
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08:46 13 Dec 19
住職の畑中住職は人徳者。様々な相談にも、のって呉れる住職です。
kaz a
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12:06 27 Sep 19
イチゲンさんでも写経ウェルカムなお寺。よくある檀家以外お断り的な排他感はない。大して喜捨していないのに、お彼岸だからとお菓子をいっぱいくれた。木魚と南無阿弥陀佛程度は覚えていったほうがいいかも。
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