2018年9月号『願い』
半年に一度の検査うくる前 ははのお墓に妻は手を合わす
歌人岡野弘彦が選んだ新聞掲載の一首です。
今は亡きこの歌の作者の母と、定期的な検査を受けなければならない妻との間に通いあう、女性同士の間のひっそりと暖かい心の交流。作者はそれを静かに見守っているということだそうです。
この嫁と姑の間に生前どんな交流があったのかは知る由もありませんが、半年前に手を合わせて祈った時に得た安心感をまた今度も期待したいこの方の妻の願いを感じます。できればこの先もずっとずっとこのままであってほしいという切実な願いです。
しかしそれだけではないように思えるのです。検査は客観的で時に残酷な結果になることもあるのでしょうが、この歌からはもしそうであっても受け入れていこうとするこの方の妻の決意すら感じられます。
静かで強い一途な想い。
何故? どうしてこの歌がそれほどまでに迫ってくるのか。
それは一言で言えばこの方の信じる力に触れているからだと思います。お二人のご生前の暖かい関係もそうですが、亡くなった後も極楽浄土があること信じて、あの方がそこにおられること信じて、阿弥陀さまのご加護を信じて手を合わす。
そんなこの方のお姿からは信じる力の源のようなものが秘められているようです。自分にとって試練が来たときに自分の限界を知ってひたすらに祈る。祈りの先には仏さまの無力な私たちを救おうとする願いがある。
この願いこそが私たちお念仏の教えをいただく者の道しるべです。
「はじめにはわが身の程を信じ、のちには仏の願を信ずるなり」
法然上人のおことばです。
自分は無力でよくよく自分自身をふり返ると何と罪深い者であったか、でもそんな自分でもいいと信じること。そして極楽浄土があること、阿弥陀さまのそこに私たちを救いとるという願いを信じること。この二つのことを信じてお念仏することが大事ですよと仰っているのです。
そんな器用なことはとてもできないと思われる方もいるかもしれません。
実際にナムアミダブツとお声に出してみてください。お称えするうちに信じる気持ちがが湧いて参ります。私たちを救いたいという阿弥陀さまの願いに気づきます。
お念仏の不思議さは続けていくことの中にあると信じられてきました。
半年に一度のお彼岸が近づいています。
酷暑の後の秋のお彼岸は心地よい季節であるようにと願われます。
お念仏申すことがお彼岸へ続く道です。
中日法要は九月二十三日の秋分の日に行われます。どうぞお越しください。
浄相院 住職 清譽芳隆